雑記

売春島の居酒屋ではから揚げが人気でチャーハンには鮭を入れる。

おはようございます。

ぼくは今、売春島と言われていた島でちょっぴり暮らしています。

朝起きたら歯磨きをして

顔を洗い。

ランチパックを食べ。

シャキッとしたらパソコンを開いてお仕事をする。

お腹が減ったら昼ごはんのために片道1時間、船と徒歩を駆使してコンビニへ行き。

それから夕方まで島を撮影をしたり、写真をとったり、お散歩したり、考えてごとをしたり…

夜になると風呂に入り、雑に髪の毛を乾かします。

毎晩、島の居酒屋さんに行っておじさんたちとお酒を飲みました。

特段変わったことはしてないです。

ただこの島の暮らしやこの島の人たちのことを一番近い視点で見て見たかったんです。

渡鹿野島が売春島と呼ばれるまで

ぼくのいる島は三重県志摩市にある渡鹿野島。

およそ0.7キロ平方メートルほどの小さい島で的矢湾の奥、ちょうど半島やらに囲まれて風や波が穏やかな場所に位置していて、そんな立地から「風街ちの島」とも言われている島でもあります。

そしてなぜこの島が売春島と呼ばれているかというそれには400年ほどの長い歴史があるんです。

古くは江戸時代、まだ車がなく、荷物を船で運んでいる時代。大阪から江戸までの間に位置しているこの島は風や波の心配もないことから航海中の船がよく停泊したようで、多くの船乗りは旅の途中の疲れをこの島で癒していったそう。

そしてその船乗りたちが求めたのが女遊び。

当時は島から小舟を出し、船乗りたちのいる船に島の野菜などを売る女性に変装させる形で遊女を向かわせるスタイルだったんですが、それがこの島の売春の原形というか始まりです。

それから時は立ち、周囲の島は伊勢海老や牡蛎など豊富な魚介がとれることから漁業を発展させてきたんですけど、この島は置屋(娼婦を選ぶ場所)を設置し、宿泊施設や飲食店を作り、売春を島の産業の基盤にして発展していきました。

その結果、1970年頃には島民300人に対し、娼婦60人以上。島民の9割以上が第三次産業(宿泊施設・飲食店)を生業にしており、売春を目的に訪れたお客さんに宿を提供したり、飲食を提供したりする島になったんです。

そうしてこの島は次第に「売春島」と言われるようになりました。

はい。ここまでがこの島が売春島と呼ばれるまでの歴史で随分とかっ飛ばして話したので相当雑ではありますが、だいたいそんな感じです。


-島でソーメンを食べている様子-

っとまぁ

これまで周辺の影響を受けることなく発展してきたこの島も徐々に摘発を受けるようになり衰退。今では人口も減って島民200人に対し、娼婦は数名。

もともと売春を基盤として成り立っていた島なので売春がなくなると同時に観光客は減り、旅館は潰れ、空き家が増えていきました。

数年前からはこの島をどうにかしようと、ハートの形をした島としてなんとか路線変更を試みたりはしているものの成果はあまりでず、

今は数十年前までは賑わいを見せていたこの島も今では島民の平均年齢が70歳を越え。人生100年と見積もってもあと30年で終わりを迎えるような島です。

売春島と呼ばれた島のふつう。

はい。ざっとこの島の歴史はそんな感じです。そんでもってここからが本題。

 

渡鹿野島にとってのふつう。

 

この島、実は有名でこの島に関連する書籍や記事、動画なんかもそれなりにあったりするんですけど、だいたい闇の島とか、禁断の島とか、なんていうかそう表現されることが多いなんですけど、ぼくにはそれが納得いかなかったんです。

実際、よく考えてみると400年前から島には売春があって、産まれた頃から売春が隣にある人たち

実はこの渡鹿野島、ぼくの卒表設計の敷地だったこともあって、3年前に来た時もぼくはこの現状を知りました。

 

まぁしょうがないことかかなって思います。400年もの間、売春を産業にして成り立ってきたと言ってもそれをただの伝統や歴史として残してくれる世の中じゃないし、

ぼく自身、この島の売春業は決して生き残っていいモノだとは思いません。ただ存在するのはしょうがないとは思います。

 

そんな中、ぼくはこの島の人たちがどんな暮らしをしているか、何か好きでどんな日常をおくっているのか知りたくなりました。

なんていうか、こういう場所だとネットにある情報や本もこの島の売春のことばかりで、「この島の人たちは全て売春に関わっていた。」の一言で済まされる場合が多いんですけど、

考えてみて欲しいんです。

自分が産まれた場所では売春を目的に人が来て、その人たちのための旅館をやってたり、居酒屋を経営してたりする環境に生まれてくるって。単純に売春に関わってきたという一言ではなくて、もっとこう…その人たちのにとって自ら関わってきたというよりは産まれた時からそこに合ってずっとこの島ではそれがふつうだったと思いませんか。

だから島の人たちにとってはそれらは卑猥なこととか行けないこととかそういう話の次元じゃないような気がしたんです。

 

ただこの島が終わって

 

話を戻すとぼくが

この島で暮らしてみようと思ったものは売春の実態とかそんなものではなく、売春を400年間続けた島で生まれた人たちの暮らしはどんなものか。生まれた頃から売春が目のまえにある人達は今それをどう思ってるのかみたいなところです。

もうそしてもう終わってしまうだろうこの島の売春島としての側面ではないそのままの部分をみてみたいと思いました。

渡鹿野島のふつう。

塩風できほんねっちょりする。

いろんなところに波の高さが書いてある。

廃墟のアパートが多い。

メイン通りはコンクリ。

内側は木造。

船は1回200円。

常連さんが多そう。

島の掃除はみんなでやる。

移動は基本原付。

海がわりときれい。

変な車が通ってる。

きほん水圧が強い。

近くのコンビニまで往復2時間かかる。

12時と17時を知らせる合図がある。

50代はわかい。

無料のタクシーがある。

朝が一番にぎやか。

居酒屋ではから揚げが一番人気。

チャーハンには鮭が入る。

 

おわりに

こんな感じです。